毎日が夏休み

私の頭の中へようこそ、なんでも書いてます。

どうしようもなく他人なのだ、

それは友人や恋人、家族といるときでさえ湧き上がる感情だ。

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自分以外の人間と完全にわかり合うことは到底無理であるということに気づかされることが何度もあるし、きっとこれからの人生で何度も経験する。

 

 

 

別に相手と完全にわかり合いたいなんて思ったことはない、

むしろ相手の考えていることすべてを知ってしまったり

自分の考えていることすべてを明らかにされたりした日には

私は絶望して生きていけなくなるだろう。

 

 

それなのに

「ああ、この人と私はどうしようもなく他人でわかり合うことなどできないのだ。」と感じた時に、

切なさや寂しさだけではない感情で心がざらざらとするのだ。

 

 

わたしはきっとその人と完全にわかり合う以外にしたいことが、知りたいことがある。

 

そうだ、

 

私は今私の目の前にいるあなたが今までの人生で感じた、心の奥にしまわれている決して色あせることのないきらめきを知りたい。

 

それは友達と旅行に行った時に見た満天の星だったり、

初めて恋人からプレゼントをもらった瞬間だったり、

一人で買い物をしている時に偶然見つけた喫茶店で飲んだとても美味しいコーヒーだったり、

それら全てを知ることができたらと思う。

 

 

 

 

 

帰り道にモスバーガーを通り過ぎようとして、

私は店内の1人のサラリーマンに釘付けになった。

 

サラリーマンは夜10時を回ったモスバーガーの店内でマフラーを黙々と、一生懸命に編んでいた。

 

そのマフラーが誰のために編まれているのかを私が知ることはできないが、私はそれを見た瞬間、全くの他人である彼に愛しさを感じ、抱きしめたいと思った。

 

私の目の前にいるあなたも、そうやって誰かを癒した瞬間がある。

私はそんな瞬間も知りたい。

 

 

もしかしてこの知りたいという気持ちは、完全にわかり合いたいという気持ちよりもよっぽどおぞましいものではないだろうか。

どちらも実現することがないという点においては共通しているけれど。

 

 

私とあなたがどうしようもなく他人であるがために実現されることのない願いはいつだって私の心をざらつかせるのだ。