毎日が夏休み

私の頭の中へようこそ、なんでも書いてます。

気づいたら

もしかして7月がもうすぐ終わってしまうのでは、

と思ってカレンダーを見たら
もしかしなくてもあと6日で終わることに気づいた。

 

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編入後の単位変換も春学期の単位も無事に来たので、
とりあえず一安心ではあるけれど、

 

私の夏休みは7月初旬から始まっていて、
もう夏休みが1ヶ月終わってしまったというのに、
この1ヶ月は声の調子が悪くて、自分の思うように行動できなかったことが本当に悔やまれる。

 

今までの人生でワースト3に入るくらいに最悪な1ヶ月だった気がする。
来月は自分の誕生日なのでこの地獄みたいな体調を一刻も早く脱して、充実した夏を過ごそうと思う。

 

 

この1ヶ月で思ったことは、「人を雑に扱わない」ことの大切さ。

 

自分が雑に扱われた場合だけではなくて、自分が相手を雑に扱ってしまった場合も含めて、もはや話し合いでの解決が不可能なようであれば縁を切ってしまったほうがお互いのためなんだろうなと最近思う。

 

今年の春から初夏にかけては、
今までの人生の中ではありえないくらいの多くの人と
関わった期間になったのではないかと思う。

 

それを経ての「人を雑に扱わない」という行動指針は
今後も出来る限り貫いていきたいと思う。

 

「誰かに雑に扱われたという経験は人生に深みを与え、その人を成熟させる」という解釈もあるけれど、その解釈は「成功のためには辛く苦しい努力の積み重ねが必要」という社会的風潮の反映でしかないと思う。

 

傷つかなければ人として成長できないのか
苦しみながら努力しないと成功できないのか
傷ついて、苦しむことを経ないと幸せになってはいけないのか

 

決してそんなことはないと私は思う
幸せもそのための努力も楽しんで得る方法はきっとどこかに存在している。

 

 

傷つかないことは無理かもしれないし
傷つけてしまうことをなくすのは難しい

 

でも傷つくことや苦しむことは美德でもなんでもなくて
ただの「傷」でただの「苦しみ」だ。

それ以上でもそれ以下でもない。

 

傷や苦しみを直接受け止められるほど私たちは強くないから、
きっと意味を与えたり、必要な経験だったとか色々な言い訳をぺたぺたと貼り付けてしまうのだと思う。

 

そんな自己防衛を否定する気はない。
だからと言って共感するつもりもないけれど。

 

とにかく

今年の夏が多くの人にとって最高に幸せな夏になればいいなと思うよ。

 

 

 

 

 

夏は私を思いだしてね

 

8月に入る前に自分の中の色々な気持ちを整理しておきたい
と思い、書いている。

 

やはりその時々で考えていることは
変わってくるものだなあ。

 

四季の中で夏が一番好き。

春の新しい環境に浮足立っている空気感とは対照的な
夏のなりふりかまわずにどんちゃん騒ぎしてやるぞ
という空気感が好き。

 

あと夏生まれなので、
夏はいろんな人に気にかけてもらえるのでとっても幸せ。

誰かに気にかけてもらえることほど嬉しいことはないので、
やっぱり人とか関わってこその人生、、

 

でも人と関わることは難しい。

 

 

人によって辛いと感じる閾値は全然違う。

そして自分の閾値というか、ものさしを押し付けられるのは苦手。

 

 

7月めっちゃ辛かった~~~~~~~~~!

 

ということを言いたかったから。

 

いや、今も辛い。

暇であることがこんなにも辛いことだとは思わなかった。

 

忙しさで日々を埋めることが正しいとは思わないけれど、

ある程度の忙しさは日常生活を充実させる上で重要なのではないかと思う。

空白

生きるの辛い。

 

 

こう感じるのは今に始まった事ではないし、誰しもが生きてれば感じることだとは思うけれど。

 

 

とにかく生きるの辛い。

 

声が出ないだけでこの世の中はぐっと生きづらくなる。

そもそも声出ないのって治すのにこんな一ヶ月もかかるものなの?一ヶ月。

 

思い当たる節といえば、

少し治ったと思って140kmもサイクリングしにいったからこうなりました。

 

 

久しぶりにバイトに行った、やっぱり声はかすれ気味。

それを周りに心配されることが自分の負担になるのだけれど、「心配されるの負担になるのでやめてください」と言うのもおかしいし。

 

心配してもらえることをありがたいと思わず迷惑だと感じる自分の心は屈折し過ぎではないのかと自己嫌悪する。

 

そもそも体調管理できないのは大人としてどうなのか、失格なのではないのか。などと考え始めて、生きるのが辛いと言う結論に帰着する。

 

 

前向きな姿勢

こんにちは、お久しぶりです。

GWが終わったなーと思っていたら5月も終わっていました。

おかしい、どういうことなんだ。

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編入する前は

3年生という人間関係が既にいい感じに

形成されてしまっている環境に飛び込むことへ

若干の恐怖を抱いていたのですが、

 

案外飛び込んでみたらみんなの優しさに助けられて

なんとか生きながらえている毎日です。

 

正直なところ、

なんでわざわざ優しくしてくれるんだろうか、

本当は迷惑に感じているけれど言い出せないだけなのではなかろうか

そんな優しくしてもらう価値なんて私にはないからやめてくれ

という感情に苛まれることも多々あるのですが、、

 

とりあえず周りの優しさにおんぶにだっこの状態を続けていこうかと思います。

 

 

 

毎日いろいろなことがあって、

書くことはたくさんあるのですが 

 

おそらくその出来事が起こった瞬間、瞬間に

書いていかないと、感覚が薄れてしまって

書けなくなるので継続して書いていくことはやっぱり重要なんだなあ。

 

 

 

今回は、最近会った人物から受けた言葉ついて

どうしても物申し上げたく更新してしまった次第です。

 

「あなたって、いつもネガティブだよね」

という発言に反論させてほしいと思うんですね。

 

私は自分のことをネガティブだと感じたことが

今までの人生で一度もなかったので、

むしろあり得ないくらいにポジティブだと思っている

 

この発言というか、

相手の私に対する認識に驚愕しました。

 

この発言を受けたときには、

『この人は誰の話をしているのだろうか』

とキョトンとしてしまったのですが、

 

よくよく考えると、

物事を発信する場において私は99.7%の確率で

後ろ向きなことしか話さないので、

 

そういった認識を受けてしまったのかなあ、

という結論に至りました。

 

 

「自分はなんてダメなやつなんだ!」と思ったり、話したりするのは

自分に否定的だったり、消極的だったりするからではなく

 

無駄に高すぎる自己評価に自分が追いついていない状況に

対して苛立っているわけなので、

 

だいたいにおいてネガティブに見える人間は

自分に否定的で消極的なわけではなく

自意識ライジング系なのかなあ、と(暴論)

 

そうすると

自分のことをやたら謙遜したり、卑下したりする人間は

自意識過剰かつ自信過多という結論が導き出されたので、

 

今後はネガティブな発言を控えていこうと思います。

 

人と話してばかりは良くないけれど、

たまに話すことは自分を見直すいい機会になりますね。

感謝だなあ。

 

また書きます。

 

離れてやっと気づけたこと

4月から一人暮らしを始めてちょうど1ヶ月になる。

 

朝ごはんと夜ご飯を食べる気が起きなくても、
せめてお昼ご飯はしっかり食べよう、と決めていて
できる限りお弁当を作っていたけれど、

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自分の作ったおかずの管理が雑すぎて
お腹を壊してしまったので(あほすぎる、、)
しばらくはお弁当をお休みしようか悩んでいる。


一人で食べるご飯は最悪だ。

とにかく一人の時は感情のある食べ物、
だれかと一緒に食べることが多い食べ物を口にしたくない。

 

例えば味噌汁とか、ポテトサラダ、ハンバーグ、かぼちゃの煮物、、

 

きっとこういったものを食べてしまうと、
ひとりぼっちだということを再認識してしまうようで
辛いから。

 

 

本題に入る。
この1ヶ月を通して気づいたのは、
親とは離れてみるべきだ。ということ

 

親からしつこく1日の予定を聞かれること。
私の帰りが遅くなると露骨に不機嫌になること。
なんでなんだろう、とずっと疑問だった。

 

疑問が苛立ちに姿を変えることもたくさんあった。
いろいろな思いが混ざり合って、
私はとにかく一人暮らしに憧れを感じていた。

 

 

実際に一人暮らしをしてみて、
親と私はお互いを尊重することができるようになった。

 

毎日美味しいご飯が用意されている。
毎晩温かいお風呂にのんびり入れる。
いつも誰かが私を家で待ってくれている。

 

当たり前のことが、
誰かの優しさでできていたことを知った。

 


親も子と離れてみて思うところがあるらしく、
前よりも優しく接してくれるようになった。気がする

 


今まで親の束縛に感じてきた煩わしい、という感情を
今は恥ずかしく思うようになった。

 

私は知らないところで親に依存し、
親も自分の気づかないところで
どこか子供に依存していたのかもしれない。

 

共依存による甘えはわがままになって、お互いを疲弊させる。

 

このことに気づけたのは
お互いを尊重し合う関係になれたのは、
物理的距離を置くことができたから。

 

だから、
大切な人とは適度な距離を保つべきだし、
それが難しいようなら物理的に距離をおいてみるべきだと思う。

 

春という季節

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二年ぶりの入学式に参加してきて、

 

私も二年前は友達できるのかな、とか

サークルとか部活は何にすればいいんだろう、と

悩んでいたなあと思い出した。

 

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生まれたときから強がり

わたしの友達はよく人から恋愛や悩みごとのを受ける。

 

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他の人から恋人の愚痴や惚気は聞いたことはあるが、

わたしは生まれてこのかた

誰かから真剣に悩みごとの相談を受けたことがない

 

、気がする。

 

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